気づけば、あっという間に10月!今年もあと、2ヶ月で終わってしまいます…!!きゃー( ;∀;)なんて早いのでしょうか😳
歳を重ねているからというのもあるかと思いますが、やはりこのスピード感は「風の時代」だからこそなんでしょうね🌬
♪も〜い〜くつね〜る〜と〜、ね〜んま〜つだ〜〜〜😂
さて、みなさん人は1日の中で、どの位思考しているか知っていますか??
実は……6万回行っているんです!!!
思考することは生きていく為に必要不可欠ですが、どのようなことを考え、行動し、習慣としていくか。積み重ねているものが自分自身の人生となっていくので、より良い人生を作っていきたいのなら、普段の自分自身との対話も大切になってくると思います。
あと少しで2022年となるこの時期。
自分自身の思考の癖や感情を見つめたり、抱えていることを手放したりしながら、人生を劇的に好転させたい!
そんな方に、ぜひオススメな【熊野企画】、ご用意しております😊✨
実は去年、一足お先に行ってみたのですが、関東とは違う古来のエネルギーを感じました!!今までいくつかの神社を参拝していますが、自然の豊さ・力強さがどこの神社とも違うな…と感じられました。
透き通った空気、場所場所によって異なる土地と、そこに訪れた人々の想い・願いの温度感や質や量。
自然そのものからいただけるパワーが本当に大きいが故に、融合しやすい・一つにまとまりやすい、自分自身とも繋がりやすいのかな?と思いました。
平安時代には皇族や貴族も熊野を目指す「熊野御幸」が盛んに行われ、その後は徐々に庶民にも広まっていった熊野詣(もうで)。
「蟻の熊野詣」と言われるくらい参拝する方が後を絶えなかったとのことで、信仰深い方々が多かったことが伺えます。
そもそも、熊野とはどのような土地なのか?🤔
熊野に参拝される前に知っていただきたいことなど、私自身の整理のためにも、こちらでお伝えさせていただきますっ☆★☆
1.「熊野信仰」について
熊野は元々、山・瀧・磐座(いわくら)・石など、自然崇拝を源とする信仰から始まっています。
現在では「熊野三山」とひとくくりにされることが多いですが、元々は
- 那智の滝を御神体とする信仰(那智)
- 熊野川を御神体(神の依代)とする信仰(本宮)
- 神倉山の「ごとびき岩」を神の依代 とする信仰(速玉)
と、それぞれルーツの異なる個別独立した自然神信仰でした。
それぞれ御神体と言われるようになったのも、実際に見ていただければお分かりになるかと思います♪
そこに、神道の祖先神信仰が流入!
那智の神をイザナミノミコト、本宮の神をスサノヲノミコト、速玉の神をイザナギノミコトが御祭神となりました。
その他、熊野の山々に鎮まる神様たちも祖先神信仰の神々に割り当てられ、自然神だった熊野の神々が、祖先神信仰の基に体系化され、次第に一体化されていきました。
2.古事記においての熊野
① イザナミノミコトと黄泉の国
古代の人々にっとっての「熊野」。それは、祖霊のこもる根の国、イザナミノミコトが赴いた黄泉の国であったとされています。
古事記の中で、イザナミノミコトが火の神様である「カグツチノミコト」を産んだ際、亡くなってしまい、黄泉の国へと旅立ちます。
妻であるイザナミを取り戻そうと、イザナギノミコトも黄泉の国へ行きますが、生前の姿とは異なる姿を見て、慌てて逃げ戻ってくるイザナギノミコト。
(この部分のお話は「女心傷つくなぁ〜」と思います。見られたくなかったのにね!!でも、好きだからこその行動だったと思うし…。人間界と通づるところがありますね🥺)
今回の旅で訪れる中には、古事記に出てくるイザナミノミコト・カグツチノミコトが祀られている珍しい神社や、人によっては「黄泉」を感じられる&人生が大きく変化するきっかけとなった、巫超絶オススメの【大斎原】にも行きますので、ぜひお楽しみに🌈✨
(写真は「大斎原」。中は撮影禁止区域なのですが、もう本当に次元が違う場所でした…!!!一番下の写真は、本宮大社が洪水で流される前に、大斎原にあったという記録です。)
② 八咫烏(ヤタガラス)と神武天皇
『古事記』中巻に記載されているのが、八咫烏と神武天皇についてのお話です。
天上界・高天原(たかあまのはら)から日向(ひむか)の地(現在の宮崎県)に降り立った天孫・ニニギノミコトから数えて4代目に、カムヤマトイハレビコノミコトという方がいます。彼は兄弟たちに相談し、平安に政治を行う場所を求めて、日向から東の大和(やまと)に向けて出発することを決意!!
でも、刃向かう敵との戦いのなかで兄を失ったり、熊野の山では、荒ぶる神の毒気で当人やその家臣たちも気を失ってしまうという苦しい事態に…。
このように数々の危機に見舞われるカムヤマトイワレビコたちのため、天の神は「八咫烏」を遣わせることに。
八咫烏が先導するようになると、彼らの旅は、うって変わって順調なものとなりました。そうして大和に入り、橿原の宮(奈良県橿原市)でカムヤマトイワレビコノミコトは、天下を治めることになります。
これが、初代の天皇である神武天皇の誕生です。
熊野三社に行くと、八咫烏のモニュメントがあるのは、これが背景にあるからです。
3.「熊野」という言葉について
熊野の「熊」は、「隈(くま)」=遠く奥まった地、地の果てという意味からの説や、古代の人々が死者の隠れるところと呼んだ、「隠国(こもりく)」の音が変化したものであるという説などもあります。
死後の世界=「黄泉の国」と通じていると信じられてきた聖地、熊野。
「熊野に詣でる」ということは、その行程自身が信仰であり、黄泉の国に往き、生まれ変わって現世へ戻るということなのでしょうね。
熊野の地が「よみがえりの地」と言われるのは、そのプロセス一体のことを指している、ということのようです!
「くまの」「よみがえり」を、カタカムナでも調べてみました☆
「ク」〜引き寄る〜
- 宇宙の真理を現すエネルギー
- これから生まれる存在の要素
- 抱(いだ)きあう陰陽の渦
- 引き寄ることで、ひとつの中に二つのものを取り込む
- サナギのように宇宙のエッセンスを引き寄せ、思念の集合体を象(かたど)る
「マ」〜受容・需要〜
- 同じ空間を譲り合い、分け合い、共有するエネルギー
- 統合の世界への入口
- 存在と存在が重なりあい、結び合うエネルギー
- 自分という存在が、ここにいる自分だけではないと、知った瞬間。それを受け入れた瞬間のようなもの。
「ノ」〜時間をかける〜
- 生命の波にのるエネルギー
- このエネルギーをもつ人は、時機を知る人
「ヨ」 〜新しい・陽〜
- 「万物に宿る生命エネルギー」
- 示しの「シ」の「死」も内包する4。黄泉の「ヨ」でもある
- 「ヨ」は、万物に宿る生命エネルギー。全ての人に等しくあるもの
- 「ヨ」は、奇跡 そのもの
- 夜明けが新しい1日の始まりであるように、 「ヨ」は太陽の「陽」であり、新しいエネルギーを現す
「ミ」 〜実態・光〜
- 「現実化・物質化する渦のエネルギー」
- 「ミ」は「ヒ」と「フ」のエネルギーを経て、結実する
- 数秘3 実体・光 3次元
- 「ミ」は、見えるもの、そこにあるもの。そして、それは三位一体の光。天と地をつなぐ、光。
「カ」 〜チカラ〜
- 「時と生命を慈しむ宇宙エネルギー」
- 「カ」は、目に見えない小さなもの。「ミ」である光でさえも、「カ」に気づくには繊細さが必要
- 「カ」という存在を感じとった者が、昔、それを「神」と呼んだそうして「神」は生まれた
- 「カ」は、宇宙に充満し、星を貫くチカラ
「エ」 ~うつる~
- 「変化し続ける空間と時のエネルギー」
- 「ヱ」が潜象世界の想いを届けるなら、「エ」は現象世界の物質を移す
- 意志の働きで物事の移りゆくさまを表す
- 「エ(43)」の数霊の4は陽のエネルギーを持ち、3は実体化(=光となり見える状態)でもある
- 宇宙から導かれたエネルギーが光となることでその表現の場を移してゆくように
「リ」 ~離れる~
- 「マワリテメグル、生命の輪へと向かう鈍化のエネルギー」
- 調和の輪が分離分極し、離れていく時。 「リ」は、∞(無限)となる
- 調和してひとつとなった存在が、ふたつに離れてゆくこと
- 輪廻転生の旅であり、最初の1を追い求める純化の工程でもある。
- 果てしなく続く旅。
- 旅することで、不用なものを脱ぎ捨てていく。
日本語・カタカムナで調べてみると、熊野と自分自身について、繋がる「何か」があるのではないでしょうか?✨
今回の熊野企画では、9つの神社に参拝します⛩
自分自身に対して『無いもの』を見てしまう人は
『有るもの』に目を向けられたり、気づけたり
自分自身の真価•素晴らしさ•可能性を感じてもらいたい。
有るものは分かっていても『活かし方』が分からない人は
そのきっかけを掴んで、広げて、更に輝きを増す方法を見つけて、限りある命を生かしてもらいたい。
そんな想いが詰まっています💕
圧巻の迫力の瀧に浄化されたり、目に見えないエネルギーを至る所で感じたり…。
五感・六感を全開にして「感じる」ことで、皆さんと一緒に<あ〜わ>の全てのことに「感動」「感謝」を見出していく旅となったら嬉しいです😊
2022年に向けて、一緒に運気爆上げしに行きましょう!!!🔥✨
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